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©1983 Embassy
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デヴィッドソン監督は、ミュージシャンではなく、ロックン・ローラーを演じられる俳優を探していた。当時アイドルとして人気絶頂、エディ役に惚れ込んでいたリック・スプリングフィールドを袖にしたのは、監督のこの決意に他ならない。そして初会見の日、デヴィッドソンのエディ像は、マイケルとぴたり重なった。マイケルはエディに見せかける何物も必要としなかった。目に映るそのままで、エディ・ウィルソンだった。いや、もっと正確にいえば、マイケルの存在がエディ・ウィルソンを立ちあがらせ、歩かせ、膨らませてくれた。
言葉を交わしながら、デヴィッドソンは考えている。マイケルはギターを弾けるのだろうか。マイケルはさりげなく質問をかわす。
「ええ、ギターは持っています」
「歌は? 歌えるの?」
「ちょっと歌います」(チョッと、って何だ?
と思いながら)
「曲を作ったりもするの?」
「頭の中には、いくつかメロディがうかんでいるんです」(うかんでいたって、脳みそから出てこなかったら、どうするんだ)
つまるところ、マイケルは全く音楽経験ゼロなのであった。キーは?
と聞かれても、彼が知っている「キー」は車や部屋の鍵だけ……。と、後になって、マイケルはこれをデビュー話のジョークにしてしまった。
「正直のところ、マイケルにタイトル・ロールを振るのは不安だった。これまでのキャリアといったら、台詞が2、3行しかないTVのチョイ役だけなんだからね。その新人に映画全部を背負わせようなんて正にギャンブルだったよ」
デヴィッドソンだけではなく、自分にとっても、大いなる賭だった、とマイケルは付け加える。
「ジョン・ベルーシが言ったんだけど。誰だってみ〜んなロック・スターになりたいのさ、って。僕もそれは本当だと思う」
憧れのロック・スターを演じる……。しかし、それが大変なプレッシャーであったことも事実である。マイケルはすぐさまギターのレッスンを始めた。ロック・スター、エディ・ウィルソンになりきろうと、彼は「まるで気が違ったように、いちんちじゅう」(デヴィッドソン談)ギターを抱えて歌っていた。ギターが自分の体の一部になるようにと、マイケルはどこへ行くにもギターを離さなかった。
撮影がスタートする前、デヴィッドソンはクルーザーズのメンバー全員に数週間の合宿を命じた。トム・ベレンジャー(「詩人」フランク)も、マシュー・ローレンス(サル)やヘレン・シュナイダー、ジョアン)も、ジョニー・リオン、ケニー・ヴァンスといったロック界実力派の指導を受け、映画の役そのままに楽器を弾いてリハーサルに明け暮れた。彼らは映画の中の「クルーザーズ」と同じように、60年代の服装で演奏し、語り合い、笑い、時には口論しながら、役に没頭していった。
あるオフの夜マイケルは、トム・ベレンジャーと仲間で飲むビールの買い出しにでかけた。低予算の映画だったから、宿舎となっているモーテルには冷蔵庫がない。ベレンジャーは、ハイネケンの箱に氷をつめ、たちまちにして立派な「スラム街の冷蔵庫」を発明する才能を発揮した。
「まるでホントのバンドをやっているように楽しい毎日だった。バンドのメンバーが一団となって、On The Dark
Side や Tender Years
を作り上げていくんだ」
と、マイケルは回想する。リハーサルが進んでいくうちに、メンバーはいつのまにか、彼をマイケルではなくエディ、と呼ぶようになっていた。そして気が付くと、誰もがバンドのリーダーとしてエディに接し、エディを中心とする求心力のようなものが働きはじめていた。
「クランクインの日、セットに集まった彼らをみて、私は満足だった。彼らは一緒にツアーをし、喧嘩し、音楽を作り、笑い、お互いの考えや気分をわかり合う、ちょうどそんな状態になっていた」
とデヴィッドソンは言う。彼はマイケルに尋ねた。
「マイケル、エディをやれると思う?」
「もちろんです」
誰かが心を決める時の確かな力強さには驚嘆するよね、とデヴィッドソン。しかし彼は、マイケルの中にある本質的ともいえる繊細と不安を読み取った。デヴィッドソンによれば、どんなに気違いじみた要求をしても、マイケルはそれに応えたという。その力があるからだ。
「映画の中でマイケルは、複雑な感情をもったアーティスト、エディの心を旅しなければならない。その旅は、新しい何かを創造するという、生みの苦しみ…
マイケルは、そんな暗闇の情熱を映画的に消化できるだろうか」
エディは、時代の一歩先を歩く。彼の音楽は、だから、受け入れられない。苛立ち、焦燥、仲間とのあつれき……
そしてなお、あふれ出ようとする音楽。
「私はマイケルに拷問を与えた。エディのキャラクターを私は、痛めつけられた魂そのものだと考えていたから。彼はそのとき弱冠23才…。
エディが通ってきたような痛みや苦しみを体験したことはなかっただろう。
私は、絶えず彼を失望に追い込むべきだと感じた。ほめることはおろか、彼の敵にさえなってテンションを高めた。それは、マイケルに今までにない感情の旅をさせるためだった」
マイケルは…。
「撮影中のある日、マーティ(マーティン・デヴィッドソン監督)に呼ばれて『完璧ということをよ〜く考えてみるように』って言われたんだ。よくわからなくて、僕は友だちと海へでかけた。僕たちは一緒にいても、黙って釣りをしていることが多いんだけど……
その日もただボートに乗っていただけだった。
でも12時間後、ぼくはマーティのドアを夢中でばんばん叩いていたんだ。
マーティ、マーティ、わかったっ!
完璧に近づけば近づくほど、それはますます遠ざかるってことなんだね?」
マイケルは続ける。
「監督はそれを聞いて吹っ飛んだみたいだった。でもマーティは、答えがほしかったんじゃない。エディーを探しあてる一つの方法として、自分の中に深く入り込ませたかったんだ。監督のテクニックっていうヤツだったんだよ!」
認められたい、と痛切に思うマイケルの願いを打ち砕いて「敵」にまわったデヴィッドソン…
彼は、乏しい演技経験の新人から、五感のすべてを駆使して湧きでる思いを引出しスクリーンに焼き付けた。デヴィッドソンの「拷問」に耐えて、マイケルはそれをやりとげたのだ。
「マイケルは一度たりともくじけなかった。ただの一度も」(デヴィッドソン)
聴衆の熱狂に迎えられながら、どこか切ない瞳のエディ・ウィルソン。映画のラスト、エディそのひとのストップ・モーション……。そこには、息をのむ逸品の素材と達意の料理人の幸福な出会いが、見事に結晶している。
「エディ&ザ・クルーザーズ」は、音楽とサスペンス、成功と挫折、そして過去の再発見が織りなす、愛と友情の物語である。
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