バイオグラフィー/ パート3

マイケル

 家族や友人に別れを告げ、新しい冒険が始まった。あとでわかったのだが、フランコ・ゼフィレッリ監督、ブルック・シールズ主演の『エンドレス・ラブ』のスクリーンテストに呼ばれたその日は、『アメリカンヒーロー』のためにLAに発つ日だった。だから、NYで待つよう言われたときには、わるいけど飛行機に乗らなきゃいけないのでタクシーをつかまえなきゃ、と言ってLAに向かった。


 ホリデーインは当時ハイランドとハリウッド通りにあって、朝部屋のカーテンを開けるとあのハリウッドの文字が見えた。だから、これは夢じゃないんだと思ったよ。ルームサービスを頼んだら、何とこの勘定も払う必要がないのを発見したりね。ABCテレビやスティーブン・キヤネル社の誰かと会う時以外は大体部屋で食事をした。ある時、スティーブン・キャネルがムソー・フランクスというハリウッドの有名な店にランチに連れて行ってくれた。そこはサイレント映画の時代からずっとスターたちが常連になっているレストランなんだ。僕はスティーブン・キャネルがどういう人物なのかよく知らなかった。ジョイス・セルズニックに僕のボスになる人だと言われるまでは。
 
 スティーブンは僕のアパートが見つかるまでの間、車を貸してくれた。僕はそれまで車を持ったことがなかったので、駐車券をもらったんだけどそれを捨ててしまったんだ、映画の中で男たちがやっていたように。それがあとで困ったことになった。『アメリカンヒーロー』の撮影が始まった頃、輸送担当の責任者が未払いの駐車料金のことで手錠をかけられ連行されたからだ。そのことで僕は今まで責任者スタンピーに謝る機会がなかった。申し訳ないと思っている。


 スティーブンが『アメリカンヒーロー』の脚本読み合わせに出演者を集め、そのとき僕は出演者全員と初めて会ったんだ。ドン・セルバンテスやフェイ・グラントとはすぐ友達になり、近所に住むようになった。フェイが僕らを車に乗せてってくれた。しばらくの間僕らは本当に仲のいい友達だった。でも、後でわかったんだけど、撮影が始まる前に俳優たちがストライキを起こしたために、僕はLAではやることがなくなってしまい、演技のクラスに戻って撮影開始を待つ羽目になった。
 
 ジョイス・セルズニックと彼女のパートナー、ジャン・マコーミックはしょっちゅう僕を自宅に招いてくれた。ジョイスは僕の非公式のマネージャーになった。当時彼女はABCテレビと契約していたからだ。

マイケル・パレ

(訳:オリオンの三ツ星)


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バイオグラフィー/パート2

アメリカン・ヒーローのトニー役を演じるマイケル

 僕はマンハッタンのローワー・イーストサイドに兄のテレンスと住んでいた。テレンスは国文学を勉強しにコロンビア大学へ、僕は演技の学校へ通った。僕らは父方の祖父からそれぞれ300ドルを相続していたし、テリーはライカーズ・アイランドの拘置所でバイト、それに僕のエージェントがたまに仕事をくれたので、まあ何とかやっていけてた。
ビビアンという綺麗な女優と一緒に学生映画に出たことがあるんだけど、あるとき、彼女がマンハッタンのローランというナイトクラブへ夕食に招待してくれた。行ってびっくりしたよ。その夕食会にはサルバドール・ダリと妻のガラやミア・ファローがいた。それから、憧れの芸術家や女優たちからドラッグクィーンに、ピーチーズと呼ばれていたホームレスの男まで、ありとあらゆる人たちがいたんだから。

 僕はガラとダリの隣に座っていた。すると、彼女は花びら占いをして、僕の目を覗き込むと言った。一人の女性が僕の前に現れる、そして、僕を有名にしてくれるだろうって。ガラにはそれが誰なのか、その場所も理由もわからなかったけれど、半年以内にそれが起きるわ、とだけ言った。

 まさに案の定と言うべきか、ABCテレビのタレント発掘番組でジョイス・セルズニックが「キャトル・コール」(公募オーディション)をしている最中のようだった。僕は他の応募者に続いてオーディション会場に潜り込み「オーディション・シーン」のスライドを手に入れて、そのシーンを練習し始めた。

 と、応募者全員が練習している所へ一人の女性が入ってきた。彼女は杖を持ち、僕に歩み寄ってこう言った。「私の言うとおりにすれば、あなたをスターにしてあげるわ。私ジョイス・セルズニックよ」で、僕は言った。「オーケー、ジョイス。じゃどうすればいいのですか?」すると、彼女のパートナーがLAの電話番号をくれ、来週電話するようにと言うのだった。

 帰宅後兄に今日の出来事について話はしたが、僕はそのまま仕事に出かけた。レストランの仕事に戻るともう演技したことはまるで夢みたいに思えるのだった。 きっかり1週間後、ジョイスとジャンに電話をすると、契約書を送るからサインをするようにとのことだった。書類にサインをして送り返すと、ジョイスから電話があった。スクリーンテストをしにニューヨークに来ると言う。彼女は二つのテストパイロット版を練習するようにとスライドを送ってきて、テストの場所と日時を指定した。僕はそのシーンについて準備をし、時間きっかりに参上して、テストを受け、ランチをご馳走になり、そしてまたレストランの仕事にもどった。

 1週間ほどたった後ジョイスが電話をしてきた。ABCテレビが8000ドルの小切手とLA行きのファーストクラスの往復チケットを送ると言う。こうして僕はハリウッドへと旅立ち、スティーブン・キャネル制作『アメリカンヒーロー』で準主役を演じることになったんだ。


マイケル・パレ

(訳:オリオンの三ツ星)


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from Michael

バイオグラフィー/パート1

アメリカン・ヒーローのトニー役を演じるマイケル

 僕は1958年にニューヨーク市で生まれた。4年後に父が他界し、それで僕たち家族はニューヨーク州ウェストチェスター郡に移ったんだ。60年代は子供たちの手本となるべきものがなかった。《戦争》は間違いだったし《体制》も間違っていた。世界で起きている悪いことはすべて白人のせいのようだっだ。手本がなかったので、僕は映画スターにそれを求めたんだと思う。スターはみな僕のお手本だった。モンゴメリー・クリフト、マーロン・ブランド、ジェームズ・ディーン、ポール・ニューマン、クラーク・ゲーブル、エロール・フリン、ロバート・ミッチャム、ロッド・スタイガー、ブルース・ダーン、デニス・ホッパー、それに(ジェームズ)キャグニー、(ハンフリー)ボガート、スペンサー・トレイシー。みんな僕のお手本だった。

 高校時代にファストフード店で働き始めたけれど、卒業までには普通のレストランで働くようになっていた。僕はレストランの仕事が好きだったし、シェフはレストランでキャリアを積むなら彼のような学位を得たほうがいいと教えてくれ、ニューヨーク州北部の有名な学校に入学するよう勧めてくれた。その学校に入学して1年勉強した後、ニューヨーク市の有名なレストランに職を得たんだ。そこはワーナー・リロイがやっている店で、間もなく面白い巡り合わせだったとわかった。1年かそこら経った頃、僕はコロンバス通りの洒落た店でフランス人のシェフと一緒に働いていた。コロンバス通りで生計を立てながら、生活はクールで安定していた。ニューヨークで僕は着々とシェフとしてのキャリアを築いていた。

 それがどんなふうに起きたかを思い出すと、奇想天外なものに思えるのだけど。近所にバーがあって、ガールフレンドがそこで働いていたので、夜はたいていその店で過ごしていた。ある晩、キレイで小柄な女性が僕の隣に座ると、僕のことをいろいろ知りたがった。僕らはおしゃべりをしたけど、だんだん変だなと思い始めた。特に、くよくよしないで気楽にと僕がガールフレンドに言ったときだった。そのとき女性はこう言った。「ねぇ。私は俳優のエージェントをやっているの。私とランチしない、そしたら話ができるわ」って。僕は相手にしなかったけれど、彼女は何度もやって来たので、同僚のウエイトレスの一人がこう言った。「行ってきなさいよ。この街にはエージェントのいない俳優がゴマンといるのよ。みんな契約したいと思っているんだから。何バカなことやってんのよ」シェフでさえ、あの女性とランチに行けと言うし、兄弟もまた行くことを勧めた。

 そうして僕らは食事をし、彼女は演技の先生に会わせてくれた。そのクラスには、まだ女優になる前のレイチェル・ウォードもいたよ。美しい女の子たちが僕に話しかけてきたっけ。舞台であがらなくなって演技術がわかり始めると、僕は夢中になった。本当に演技クラスが、僕のヒーローたちがやってきた芝居を演じることが好きになったんだ。ある場面が本当にうまくいったとき、超越的とも呼べる感覚が起きるのだった。

 僕は昼間は演技を勉強し、夜はレストランで働いた。人生に新しい意義が生まれていた。僕は特別な人たち、芸術家と呼ばれる人たちだけができるようなことをやっていたわけだから。こんな生活が1年あまり続き、そしてそれは起こった。


今回はこんなところで。

マイケル・パレ

(訳:オリオンの三ツ星)


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スペイン映画祭にて

こんにちは。

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先月スペインの映画祭に招待されて行ってきました。そこで二つの賞をいただけたことを、とても誇らしく思います。もうすぐ公開のウヴァ・ボール監督の『SEED』で主演男優賞を、それから、審査員特別賞(ライフスタイル・アチーブメント賞)をいただきました。賞のタイトルは、原語ではちょっと違っているかも。ほんとにすばらしい経験でした。初めての賞だし。

SEEDは監督と作った実験的な映画です。制作に入るまでの2、3ヶ月、僕らは監督が示したあらすじだけで動いていました。僕自身は少なくともこう感じているんだけど、監督は、撮影開始前にまとめあげた自分のアイデアや発想を理解し演じてくれる俳優に映画の大部分をまかせてくれたんだと思います。

僕はそんなに謎めいた俳優ではないので、どんなふうに準備するかは説明できます。演技というのは、一つの技能であって、そこには一定の確かなステップがあると僕は思っています。ボール監督と一緒に仕事をするときは、これがとてもうまくいくみたい。それは、彼が系統だった分析ができる頭脳をもっているからだと思うんです。『シアトル猟奇殺人事件』で気づいたんだけど、あのとき僕らは全員1週間早く現場に入り、監督は、みんながもう脚本なんていらないと思える程のリハーサルを要求したものです。

SEEDの撮影で楽しかったことといえば、僕が一人でデスクにいるシーンのとき、監督がこう言ったんだ。「マイケル、上司の署長に電話して家族を保護するように頼むべきだよ。」

僕はゆっくりと歩き回って言う。「僕が上司に電話して、もっと保護を強化してくれなきゃと文句を言うというのはどう?」次にプロデューサーのダン・クラークが言った。「ちょっと待って。上司のほうが電話してきてブツクサ言わなくちゃ」すると監督、「じゃこうしよう。上司が電話してきて君の家族の特別な保護にかかる経費についてブツブツ言う。君はこれを聞き流してもっと仕事に精を出す」

撮影はこんなふうに進んでいきました。すばらしかったのは、監督、俳優、プロデューサーの間に映画のマジックを作りだそうという信頼関係があって撮影に入れたこと。間違っているかもしれないけれど、これは俳優としてとても刺激的なんです。

071001-2.jpg

今週エージェントがテレビの仕事をいくつか持ってきました。ハリウッドは僕にとって理解しがたいところです。でも今やっていることをどこか他でやれるかと言えばそれはわからない。未来に何があるのか誰にもわからないけれど、そこにはいつも何かしら料理できることがあります。

何事もなければ、ブログは月に1回更新の予定です。それではまた。

マイケル・パレ


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エリック・レッド監督 新作「100 FEET」のマイケルを語る

このエントリーは、映画100 FEETエリック・レッド監督がこの映画でのマイケルについて語った文を、監督に許可をいただき、マイケル・パレファンクラブBlogConciergeが投稿した記事です。

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神秘的な霊魂のキャラクターに対するマイケルのアイデア、演技に伝統的なアジアの幽霊映画を呼応させるそのアイデアには瞠目しました。マイケルにとってそれは驚嘆すべき変化となるでしょう。観客は100 FEETでのマイケルの演技に圧倒されるのでは。彼の沈黙が発する強烈な感情と存在感、それは「バッドムーン」をはるかに凌駕しています。特に「呪怨」や「リング」といった素晴らしい伝統をもつ日本の観客は、マイケルのゴーストによって私たちが作り上げようとしているこの映画と波長が合うのではないだろうか。

相手役ファムケ・ヤンセンの類い希な美しさ、それだけでなくファムケは傷つきやすく複雑な女性をリアリティをもって演じています。

さぁ、これから編集のスタート、撮影した映像はとても素晴らしく、これらが一体となってきっといい仕上がりになると思います。マイケルはこれからも一緒に働きたい最もクールな俳優、今後の作品すべてにマイケルを使いたい、次回作では必ずグッドガイ役でね。でもマイケルはエッジイでダークなキャラクターを演じたいと望んでいるのも事実なので、結構ゴースト役を楽しんでいると思う。

posted by BlogConcierge with permission from Eric Red, writer/director of 100 FEET
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from BlogConcierge

新作 100 FEET 撮影終了

 つい先頃エリック・レッドが監督した映画「100 FEET」の撮影が終わったところです。エリックとは数年前「バッドムーン」で一緒に仕事をしたのですが、素晴らしい体験であり楽しい刺激に満ちていて、とてもいい映画になったと思います。

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 新作プロモーションのパーティに出席した去年秋のこと、ジャーナリストであり映画評論家でもあるジョン・ファロンがやってきて「マイケル、エリック・レッドがずっと探していたよ」と言います。

 5分後エリックが現れました。で新しい映画を作っているんだと言う。僕はその後に続く言葉を待たないで尋ねた、僕の役はあるのって。ゴーストの話なんだとエリック、そのゴースト役をやりたいと言うと、だってそのゴーストは、マイケル、あなたを思い描いて書いたんだよ、だからずっとあなたを探していたんだ。もう僕らにお金の話なんぞ無しだった、映画について話し続けた。他の出演者は誰なのか、脚本はどこへ送ればいいのか。

 シナリオは即送られてきた。それを読んだ後エリックに電話して言ったんだ、すごく気に入ったって。それからミーティングを設定してストーリーやテーマ、背景、僕とマーニー(ファムケ・ヤンセン)との関係、相棒(ボビー・カナバル)との関係について話し合った。ゴースト・エフェクト用にいくつか顔の型どりをするため二人でトロントへ行くこととなり、さらに1週間ブダペストでリハーサルをすることになった。

 エリックとの仕事がどんな風に進むのかは分かっていたし、それは全部僕がこうあってほしいと思った通りに進みました。中には「好感度の高い役にしてもらいたい」と言い募る俳優もいてそんなとんでもない我が儘に屈してしまう状況無きにしもあらず、なのだが、エリックはぶれることがない。あらゆる負の感情、人をこの現実に束縛するそうした感情にこだわって、僕は人間のダークサイドを極めてリアルに表現したつもりです。

 ブダペストはこれまで仕事をしたことのある東欧圏のなかで最も親切な国でした。撮影クルーはすぐれた技術集団、プロダクションは最終ゴールとして「良い映画を作る」という全体像を本気で目指していました。

 ファムケ(ヤンセン)は、映画を最優先してその役を「徹底」して演じる、正にプロの女優でした。ケン・ケルシュが撮ったファムケは匂いたつほど美しい。ケルシュはエリックが熱望した撮影監督で30本以上の映画にクレジットされており、中でもアベル・フェラーラ(監督)との仕事が多い。

 今は100 FEETのラフカットがいつ見られるのか待ち遠しい思いです。

 何しろブログの執筆は初めての経験、今回はこの辺りで切り上げることにして次回8月半ばにまたお会いしましょう。

 このブログは月に一度更新する予定です。

マイケル・パレ


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